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販売店情報

カーネーションプラザ
住所
〒940-0062
新潟県長岡市大手通2丁目3−1
ネクストビル 1F
電話番号
0258-39-2112
定休日
毎週水曜日

ホープイン中沢
ほたるの舞う里 越路の農家です

超耕21ガッター/オフィシャルウェブサイト超耕21ガッター
オフィシャルウェブサイト

電話番号TEL:050-1123-6259 │ FAX番号FAX:025-333-0243

山古志特産品販売

私たちは長岡市山古志の特産品を製造販売しています!皆様に美味しい特産品をお届けします!

山古志について

山古志という町について

日本の原風景が残る村

遡ること昭和31年。 種苧原村・太田村・竹沢村・東竹沢村が合併し、山古志村は誕生しました。
周囲は山に囲まれ、以前は「陸の孤島」とまで言われたほどでしたが山の斜面を活用した「棚田」、「錦鯉の養殖」、牛の角突きと呼ばれる「闘牛」など村の風土と文化を活かした村おこしに成功。近代化を主流とした時代の流れが進む中、山古志を愛する住民たちが守り向いた山古志が産んだ文化と自然は「陸の孤島」から「日本の原風景が残る村」と多くの人に愛される村へと変わっていきました。
そんな山古志を襲ったのが中越大震災。
崩れ落ちる棚田、地すべりで埋まってしまった集落、山古志が誇る「日本の原風景」は一瞬にして姿を変えました。

現在でもその爪痕はまだ残っていますが、住民たちの山古志を愛する想いと多くの方々の支えで山古志は新たな文化をも取り入れ、その輝きを取り戻しつつあります。

新名産品「ヤーコン」と生産者の想い

世界一オリゴ糖を含み、栄養価の高い健康食材

ヤーコンとは世界一オリゴ糖を含み、食物繊維はほかのイモ類1.5~2倍、さらに赤ワイン並のポリフェノール、カルシウム、マグネシウム、カリウム、鉄、亜鉛で最高の健康野菜として1985年にニュージーランドから一万株が輸入され日本国内でも本格的な栽培がスタート。
山古志では震災により棚田への水脈が大きく変わり、水が引けなくなって田んぼでヤーコン栽培を始め山古志の新たな名産品にと栽培が始まりました。
しかし収穫されたヤーコンは傷がついたり大きさもまばらですべてを生食用で店頭販売するのは難しかったのが現状でした。
そこで考案されたのが米どころ新潟の自慢のお米と件を代表するブランド牛、越後牛と相性抜群のヤーコン入りカレーでした。試作や試食会を重ね、「山古志ヤーコン入り越後牛カレー」は誕生し平成19年秋から販売が開始されました。さらにヤーコンの葉を使った「ヤーコン茶」の販売もスタート。山古志復興の新たな兆しとなったヤーコン栽培も今では約100軒の農家が着手。ヤーコン入りカレーやヤーコン茶のヒットでヤーコンは山古志の新たな名産になったのです。

山古志の観光名所紹介

伝統文化「闘牛」と世界に誇る「錦鯉」

山古志が誇る伝統文化の一つが「闘牛」。「牛の角突き」とも呼ばれるこの文化は古く、千年前にも及ぶと言われています。
元々は山間部に広がる棚田での作業のための荷物の運搬や田畑の耕作などのために買われていた牛たち。環境により、非常に足腰が強く、寒さなどに耐える事のできる牛たちでした。
そんな人々の生活と深く関わっていた牛たちは人々にも愛され、それぞれの牛を誇り、やがて娯楽の一つとして闘わせるようになったのが始まりでした。

他にも、その人気と知名度は世界にまで届いている山古志が誇る「錦鯉」。山古志地域では「色鯉」と呼ばれ、「紅白」「金銀鱗」「孔雀」と眩い光を放つ美しい鯉達は今や世界各国へとその人気は広げています。

震災と復興

中越大震災と人々の想い

新潟県長岡市山古志地区(旧山古志村)は2004年10月23日に発生した中越大震災により甚大な被害を受けました。マグニチュード6.8、震源の深さ13キロメートルの直下型地震。死者68名、負傷者4805名避難生活余儀なくされた住民は約10万人という未曽有の大震災でした。

当時の山古志村でも震度6強という地震に襲われ、地すべり、道路の寸断により孤立する村と住民。家屋の倒壊や山古志の誇る牛たちや棚田なども壊滅的な被害を受け、山古志村2200人の住民たちにも長岡市への避難指示が出されました。


不安な避難生活を送る中、翌2005年4月に山古志村は長岡市へ合併されました。


住み慣れた家や村、闘牛や錦鯉、畑や田んぼ村への想いは募るまま、不安に拍車をかけるような大雪に見舞われ、避難生活は長引き山古志村全集落で避難指示が解除されたのは地震発生から2年半後の2007年4月1日のことでした。


避難指示が解除され、目の当たりにした村の光景。それは山古志を愛する住民にとってはつらい現実でした。
しかし、山古志を愛する想いは尽きることはなく住民一丸となった復興をスタートしたのです。


もちろん住民だけでは不可能なことはたくさんありました。避難生活をしているころから全国の皆さんにたくさんの支援を頂き、そんな皆さんの気持ちに応えるためにも山古志の良さを絶やすことなく、全国のみなさんに知っていただくためにも住民の結束は増し、復興にあたってきました。